能楽現在形 劇場版@世田谷パブリックシアター

3択(宝生:金井雄資、喜多:狩野了一、観世:片山清司)を迷いに迷い、喜多流一点買い。(笑)

舞囃子 『猩々乱』
シテ	友枝 雄人
笛	一噌 幸弘
小鼓	吉阪 一郎
大鼓	亀井 広忠
太鼓	大川 典良
	
能 『鐡輪』
シテ(女)	狩野 了一
ワキ(安倍晴明)	宝生 欣哉
ワキツレ(夫)	筒井 松男
間(貴船の宮の社人)	野村 萬斎
小鼓	吉阪 一郎
大鼓	亀井 広忠
太鼓	大川 典良

後見・地謡は省略しました

舞囃子 『猩々乱』
橋掛かりは左右に2本。上手(向かって右)から地謡が、下手(左)から囃子方が現れ、両者とも舞台後方に座る。
シテは、袴を超短く着付けていました。
後ろなんか、足首どころかふくらはぎまで見えるかというくらいツンツルテンで、どうしちゃったのかと??
しかし、その謎は後に解明されることに・・・(笑)
猩々って、妖精らしいのですが、あの赤ずくめの装束や面の印象からか、猿の妖怪にしか見えない・・・のは、私だけ?(苦笑)


照明が波模様を映し、海の中で小さなプランクトンになって漂い、流されるかと思うと、大きく膨らんで波を蹴散らすような、そんな繰り返し。
ちゃんと妖精に見えました。(笑)
それにしても、あの腰の落とし方。
ツンツルテンの袴の裾も、床につくくらいに・・・そして爪先立ちとの繰り返しは、足攣りませんか?
体も柔らかいのか、最初ぐぐ〜〜っと体を捻りながらそらすような型をしていました。
ああいうのは、どういう稽古をするんでしょうね?
まずストレッチから・・・??


能 『鐡輪』
橋掛かりは左右のものに加え、正面後方へ伸びる3本。囃子方地謡は、それぞれ舞台上ではなく、橋掛かりと橋掛かりの間に座りました。


狂言口開で、丑の刻参りをする女のことを語ると、舞台後方、上手から下手へ渡された橋掛かり(?)の上を、女がスーッと歩いて行く。
全く体がぶれず、静かに平行移動をするものだから、ベルトコンベアーにでも乗っているのかと・・・・(笑)
歩いているだけ、なのに、魅入られてしまいました。
おそらく、幕に入っても緊張が途切れることなく、そのまま歩き続けたのだろうというのが分かるような時間をかけて、舞台下手の橋掛かりから女が現れました。
狩野了一の演じる女って、初々しい・・・可愛いと言ってもいいかもしれない。
怨みや憎しみといった根の暗さよりも、寂しさ、哀しさで、己を恥じ入っている印象を受けました。
毎度ながらの狂言方の無責任なアドバイス(笑)も、本当にそんなことしちゃっていいのかしら、なんてドキドキしながらも、素直に聞いているんじゃないかと。


関係ないですが、中入りで一畳台と棚を出す後見のシルエットが、やたらカッコイイ。(笑)
設定上、まるで晴明の式神のように見えたりして。(笑)
(くだらない余談ですけども、「劇場版」ということで、ワキとアイの役を交換したりなんて期待をしたのは・・・私だけじゃない・・・よねっ?)(←バカ)


後シテは、正面の橋掛かりからうっそりと現れました。
装束の金糸がギラギラと照明に光り、赤は、女の心の炎かと?
でも・・・やっぱり、どこか儚げで可愛い。
おどろおどろしいシーンや、謡なのに。
照明が面白くって、シテが作り物に近づくと、舞台を四角く結界のように切り取ったり、ワキ(安倍晴明)が呪術を施す場面では☆の晴明紋を描いたり・・・ちょっと映画的かもしれませんが、面白い演出だと思いました。


お囃子、今回は笛の活躍するような曲ではないということでしたが、少ない出番ながら印象的な・・・女の心の叫びのような・・・音でしたし、大鼓は狼の雄叫び、小鼓は真夜中に跋扈する魑魅魍魎のような・・・怪しさ満点。(笑)
どれだけ照明や音響を工夫しても、シテの演技自体は、通常の能舞台と同じというのも、ある意味すごいことだと思います。
決して崩れない、影響されないものが、あるということなのですから。


アフタートークは、能楽現在形メンバー3人と、シテの狩野了一。
狩野さん以外は洋服での登場でした。
能に演出は必要なのか?と、萬斎さん自ら問いかけ、アンケートに意見をお願いしますと繰り返していました。
地謡囃子方の座る位置が、いつもと違って横並びなので、「仲良くなりすぎた」印象だったと、地頭の粟谷明生さんが仰っていたとのこと。
その分、シテは孤独だったようです。
舞台上に一人だけで、天井も高くて、柱もなくて(実際は短い柱)、ブラックホールに吸い込まれそうだったと・・・それは捨てられて鬼にならざるを得なかったシテの女の心持でもあったのかも、と狩野さんは感想を仰っていました。
と同時に、(ブラックホールが)怖くて、演技が少し下がり気味(舞台後方)になってしまったことを楽屋で指摘されたとのことで、反省してらっしゃいました。
そうそう、演技直後の狩野さん、髪も乱れて、「今は抜け殻のようで」というのがまた可愛い♪
生真面目に話しては、幸弘さんのギャグにひっくり返されてるんですけど・・・。(苦笑)


賛否両論あるかと思いますが、ここまで考えて照明や演出を工夫すると、見せ方として、アリだと思います。
劇場やホールでの能(古典よりむしろ新作能)がつまらなくなるのは、中途半端な(=カッコ悪い)照明を取り入れるなんじゃないのかな?
音も散漫になってしまうし。
な〜んてのは、当事者の方々が一番分かってるんでしょうけどね。


『鐡輪』自体がドラマチックな曲なので、今度はいわゆる「つまらない」曲(爆)を演出してみてほしいです。
ちなみに、どこかの国では、「退屈の刑」というのがあって、能のビデオをずっと見させるのだそうです・・・・・オイオイ。