第80回 粟谷能の会@国立能楽堂

汗ばむくらいの上天気。
気持ちいいねぇ、能日和だねぇと、文化の秋を満喫すべく、国立能楽堂へ♪

江口 千之掛 彩色
シテ    粟谷 明生
シテツレ 粟谷 充雄、粟谷 浩之
ワキ   森 常好
ワキツレ 舘田 善博、森 常太郎
アイ   小笠原 匡
大鼓   亀井 広忠
小鼓   大倉 源次郎
笛    一噌 仙幸

呼声
太郎冠者  野村 萬
主人    小笠原 匡

仕舞
松風    粟谷 幸雄
蝉丸    粟谷 辰三
融     粟谷 菊生(休演)


道成寺
シテ    粟谷 能夫
ワキ    宝生 欣哉
ワキツレ  殿田 謙吉、大日方 寛
アイ    野村 万蔵、野村 扇丞
大鼓    国川 純
小鼓    鵜澤 洋太郎
太鼓    助川 治
笛     一噌 隆之

(地謡・後見は省略しました)


『粟谷益二郎50回忌追善』とのことですが、それだけに粟谷菊生さんが休演になってしまったのは残念。
まだ一度も拝見したとがないので、仕舞を楽しみにしていたのですが。(地謡はありますが)
早く良くなられることを祈っております。
『江口』の地頭に友枝昭世、副地頭に香川靖嗣、『道成寺』の後見が粟谷辰三に変更との案内が貼ってありました。
また、それぞれの能の後の拍手は、囃子方が退場するまでご遠慮下さい、とも。


『江口』
江口の里の旧跡を訪れた旅の僧(ワキ)が、遊女の江口の君と西行法師の交わした歌を口にすると、里女(前シテ)が現れ、その歌の意味について語り、消える(中入)。僧が弔いをしていると、江口の君(後シテ)が現れ、舟遊びの様子を見せ、女と生まれた罪深さを嘆き、舞を舞う。やがてその迷いもこの世への執心の故だと悟り、普賢菩薩となって、西方極楽浄土へと消えてゆく。


粟谷明生さんのシテ、初めてなのですが、とても品がいいなぁ〜という印象でした。(ブログの印象と大違い・・・て、失礼放題ですね。)
装束の着付け方なのか、体格なのか、とてもシャープで、きりりとしたキャリアウーマンのイメージでした。
江口の君って、遊女の中でも、高級コールガールだったのでは?
そんなプライドの高さと優雅さを感じました。


舟遊びのシーンは華やか〜。
作り物の舟の中に、かわい子ちゃんが3人も♪(←オヤジ的感想)
どれも小面だったと思うのですが、それぞれ雰囲気が違っていて、楽しい。
最後、後シテが橋掛かりで扇を前方に掲げて「白雲にうち乗りて」去り、幕前で舞台の方を振り向くのですが(「ありがたくぞ」と)、その時ワキとこっくりうなずき合っているように見え、2人の間の親密さを感じました。
その後、江口の君がぐるりと見所を見渡すようにした時、彼女の慈愛がぶわ〜〜〜と伝播してきて、暖かい、優しい気持に包まれました。
もう、この一瞬だけで、この『江口』に満足、と思えました。


囃子方、この大小セットは久しぶりだったので、それも楽しみの一つでした。
シテの出る前から、期待感を抱かせてくれるのって、大事ですよね。


そして蛇足ですが・・・脇正面に座った私の目の前には、地謡を勤める大島輝久さんが♪(←バカミーハー発言ですみません)


『呼声』
無断で旅に出た太郎冠者を折檻しようと、主人が家を訪ねるが、太郎冠者は居留守を使う。主人は、平家節、小歌節、踊り節で浮かせて太郎冠者を誘い出そうとする・・・。


『にほんご〜』で見ていたせいか、てっきり観た事があると思っていたら、和泉流では初めてでした。(大蔵流はありますが、設定が少し違うんですね。)
太郎冠者は謡が好きだから、ということで、主人は謡いながら呼びかけるのですが、これが「旦那さんもお好きですなぁ」という感じ。(笑)
主人は、本当に怒っていたのだかどうだか、ノリノリで、丸っきり遊びに来たみたい。
太郎冠者もそれを分かっていて、相手をしているような。
こんな掛け合いできるなんて、シャレた主従だなぁ。


すみません、仕舞は省略します。


道成寺
道成寺の鐘供養の日、女人禁制であるのにも関わらず、白拍子(前シテ)が鐘を拝みたいと能力(アイ)に頼み、舞を見せることを条件に境内に入る。白拍子は乱拍子を踏み、激しく舞ううち鐘の中に跳び入る。(中入)鐘が落ちたことを聞いた住僧(ワキ)が、鐘の由来を語る。それは、女に慕われた山伏が鐘の中に逃げ隠れるが、追ってきた女は大蛇となって鐘に巻きつき中の山伏を焼き殺してしまった、という物語だった。その怨念を払うため、僧達が祈り始めると、鐘が上がり蛇体が現れ、僧に襲いかかるが、祈り伏せられ日高川に飛び込み消えていく。


有名な曲ですが、喜多流で観るのは初めてです。
喜多流金春流も)は、ストーリーの進行と共に能力(アイ)が鐘を吊り上げるんですね。
鐘の色は緑で、頭頂から大きな房が下がっているのが、喝食の前髪みたいに見えてしまった(笑)。


白拍子は、これまた気品高い。
中年女なんだけれども、初々しくもある。


アイは白拍子に「乱拍子などを舞って」とリクエストするのですが、“乱拍子”って、舞として成立していたんでしょうか?(あそこだけ抜粋されると「何じゃこりゃ?」のような気もしますが)


その、乱拍子。
小鼓の掛け声が塊になって、白拍子の背中にずんずん乗せられていくような。
ゆっくり、一歩一歩進み、あるところ(一周回って、扇を胸の前に挙げたとき)で、覆っていた物達がするりと白拍子の中に入ってしまった。
それまで、白拍子は、白拍子だったのに、女との二重映しになった。
急之舞は、思ったよりもスピード感がないが、それがかえって、初恋に拘ったままの中年女のうっとうしさを表していたようにも。(て、酷い事書いてますね。)
鐘入りは高さもあり、見事に決まりました。(後ろ向きでした。そういえば、以前塩津さんのサイトで見たものも後ろ向き。喜多流の方法でしょうか?)


能力の責任の押付け合い(ここ、結構好きです。笑えるんだかどうだかの微妙な空気ですが)、住僧の語りと進み、祈りの場面へ。
その間、鐘の表面がプクプク波打っていて、お召換えしてるのねぇ、なんて思ってました。


ドラ(?)が鳴り響き鐘が上がると、杖を構えた蛇体が。
白い衣を被っていたので、卵のようにも。
立ち上がると、白地に金の鱗箔、腰に巻きつけた衣も白の、白蛇!
と同時に、女の一途さやピュアさも見えて。
面は般若。
古そうな面で、下からえぐる様ににらみ付ける。
柱に巻きつくところ、粘っこかった〜〜〜〜。(女の執着心を視覚化!?)
頑張れ、蛇体!
の、私の祈りも虚しく(笑)、去っていくわけですが・・・。
しかし、このラストって、蛇体が負けたり、成仏させられたのでもなく、「日高川へ飛び込む」んですよね。
またいつの日にか、現れるんだろうなぁ。


小鼓の鵜澤洋太郎さん、声量のある方ですね。
ガツンと砲丸投げのようにして、シテにぶつけてました。


さすが喜多流(ホントか?)、『道成寺』においても、“ザ・スペクタクル”な雰囲気は抑え目で、粘土みたいな、ぎっちり詰まった息苦しさのある舞台でした。(←褒めてます)
能楽堂を出ると、涼しい風が頭の中まで通っていくようで、何だか楽しくて、嬉しくて、帰り道は笑い出しそうでした。(ていうか、ニヤニヤしてました。我ながら怪しい奴。)