喜多流職分会5月自主公演能@喜多六平太記念能楽堂

自由席なので、早目に行ったものの、そんなに混んでいなくて、いつも好んでいる脇正面ならギリギリに行っても座れたよなぁ、という位の入りでした。


番組は次の通り。

仕舞
 敦盛キリ 金子 敬一郎
 雲雀山  狩野 了一
 谷行   井上 真也


高野物狂
シテ 粟谷 能夫
子方 友枝 雄太郎
ワキ 福王 茂十郎
ワキツレ 永留 浩史
ワキツレ 福王 知登
アイ 石田 幸雄
大鼓 亀井 忠雄
小鼓 大倉 源次郎
笛  藤田 朝太郎
地頭 粟谷 菊生


狂言
横座
シテ 野村 万作
アド 野村 万之介
小アド 竹山 悠樹



半蔀
シテ 高林 白牛口二
ワキ 森本 幸冶
アイ 高野 和憲
大鼓 佃 良勝
小鼓 曽和 正博
笛  一噌 幸弘
地頭 友枝 昭世


仕舞
笠之段 出雲 康雅



野守
シテ 谷 大作
ワキ 福王 知登
ワキツレ 永留 浩史
ワキツレ 是川 正彦
アイ 深田 博治
大鼓 安福 光雄
小鼓 幸 信吾
太鼓 三島 元太郎
笛  寺井 義明
地頭 香川 靖嗣


祝言
(後見と地謡は省略。敬称略。)


珍しく正面に座ってみました。(お稽古をしているらしき奥様方にかこまれながら;苦笑)
正面て、とても立体的に見えるんですね。仕舞で、奥から手前にググっと歩み寄ってくるのが、なかなかいいなぁ。両腕を開く型も、とても大きく、頼もしく見えて、うっとりでした。(笑)
何だかんだ言っても、正面に向けて演じているのだから、正面が一番見やすいんだよねぇ、と今更気付きました。(汗)




高野物狂
遺言により主君の子を育てることになった高師四郎(シテ)。しかし、子の春満(子方)はある日置き手紙を残して出家してしまう。シテが嘆き悲しむところへ、通りかかった高野山の僧達(ワキ)。その一行の中に春満を見つけ、感動の再会を果たす。


あらすじは上記のとおり。男の物狂という、ジャンルとしては珍しい曲だそうです。でも実の親子ではないのね。主従関係のほうが強い結びつき、ということかな?
見ながら思ったのは、「あんな小さい子が置き手紙残して、家出って・・・」。今回も“子方”に騙されてる(苦笑)。けど、高野山の僧に拾われるというのは、お稚児扱いかもしれないしなぁ。どっちとも取れそうです。(挿頭花風味の解釈で、男色バージョンとか作れそうな気も・・・。やめときます;汗)
子方とシテとハモっての謡があるのですが、声のトーンが全然違う上に、発声法も違うので、聞いていて微妙でした。ああいうものなのでしょうけど。
お囃子が素晴らしかったです。大鼓の音が清々しくカーンと響きつつ、情に波打っていて。ただ湿度が高いのか、調子がだんだん下がってきたのが、残念。




横座
何某(アド)が拾ったと言う牛(小アド)を、博労(シテ)に見せる。するとシテは、その牛は自分の所から逃げたものだと主張。“横座”と名前を呼べば鳴いて答えるはずだ、ということで、呼びかけるが、返事をせず、物語を聞かせ、3回目に呼びかけると・・・。


さすが狂言、何かと設定が無茶。(笑)
まず。牛なんて拾うか!?
いや、その前に。牛役は、着ぐるみに面と鬘。あれが牛というのも、無茶だが、それはそれでアリとしよう。なかなか可愛いし。でもきっと、写真で見る限り、馬も一緒の扮装だよねぇ。牛に物語を語って聞かせるというのも、唐突で笑えました。
万作さんが牛に呼びかけたり、牛を追い立てたりするときの声が愛情深くて、ほろっときました。ああ、可愛がってたんだなぁ、て。(笑)
万之介さんとのやり取りも、いかにも狂言という感じで、とても面白かった。
考えようによっては、ずるいシテのオチかもしれないけれど、なんだか嫌味がなくて、気持ちよく楽しめました。(今日の番組で一番良かった・・・て、メインはー??苦笑)




半蔀
紫野の雲林院の僧(ワキ)が仏花の供養を行なっていると、女(前シテ)が現れ、自分は五条辺りに住んでいた者だと言い残し、消える。それが夕顔の霊であろうと思い、供花に来た五条に住む男(アイ)に昔の物語を聞く。跡を弔おうと僧が五条へ赴くと、夕顔の咲く家の中に女(後シテ)が居た。僧が弔いをするので出てきて欲しいと頼むと、女は半蔀を上げて現れ、光源氏との恋の話を語り、また半蔀の中に消えていく。


ご存知、源氏物語の夕顔の話です。作物の半蔀の使い方が素敵でした。雅やかでありつつ、寂しげというか。
夕顔って、男性にとっては理想の女性なんですよね。(光源氏曰く、ですが。)きれいで、知的で、陰があって、文句を言わない。う〜ん、私からはかーなーり、遠いです(笑)。
私が思う夕顔のイメージは、はかない、寂しそうな女性なのですが、今回はなんだか健康的な印象でした。面は若女だと思うのですが(一般的にそうらしいので)、明るく、可愛かったです。
途中、何かの機械音が「ピーーー」て、耳障りでした。残念。



野守
山伏(ワキ)が『野守の鏡』という池の由緒を野守の老人(前シテ)に尋ねると、それは野守が鏡代わりに使うから、と答える。しかし本当の『野守の鏡』とは、鬼神の持つ鏡の事であり、鬼神は、昼は野守の姿をしているが、夜になると塚の中から現れるのだという。山伏達がそこで夜を過ごしていると鬼神(後シテ)が現れ、鏡に映る天上界から地獄の事々を語り、消える。


今回はこれが目当ての曲でした。以前、舞囃子を見て、その迫力に魅せられ、ストーリーもファンタジックで、ずっと見てみたかったのです。
行方不明の鷹を、池の中に見つける(池に映った梢にとまっていた)とか、山伏に恐がられて「では、帰ろう」と帰りかけるとか(笑)、なんだか愉快な展開でした。
けど、ちょっと不完全燃焼だったので、また違う演者で見たいです。(要は囃子方


喜多流て、謡が直線的で、ガツッとぶつかってくる感じがします。
好みだなぁ。