第3回條風会@喜多能楽堂

喜多流の狩野了一、友枝雄人、内田成信、金子敬一郎氏が同人となっている会です。
素晴らしかったです!


(同明会(@京都)と迷ったのですが・・・財布と体力の都合でこちらに。(笑))

仕舞『桜川』  金子敬一郎
  『笠之段』 内田成信


能『巴』
シテ 狩野了一
ワキ 大日方寛
ワキツレ 則久英志
 〃   梅若昌功
アイ 竹山悠樹
大鼓 柿原光博
小鼓 観世新九郎
笛  槻宅 聡


狂言『清水』(和泉流
シテ 石田幸雄
アド 竹山悠樹


仕舞『野守』 塩津哲生


能『海人』
シテ 友枝雄人
子方 友枝雄太郎
ワキ 宝生欣哉
ワキツレ 坂苗 融
 〃   御厨誠吾
アイ 石田幸雄
大鼓 柿原弘和
小鼓 森沢勇司
太鼓 小寺真佐人
笛  一噌幸弘


地謡、後見は省略)


能は2つとも「強い」「逞しい」女性なのですね。
そういうテーマだったのでしょうか?


『巴』
木曽義仲の愛妾であり、女武者として戦った巴御前の話です。

里の女(前シテ)が、神前で涙している。僧(ワキ)が尋ねると、ここは木曽義仲の終焉の地であり社に祀られているのはその義仲だと言って消える。里人(アイ)に義仲の最期と巴の話を聞き、先の里の女は巴の霊であったのかと、僧が弔っていると、巴の霊(後シテ)が現れ、当時の様子を再現する。義仲が自害する時「女だから」共には死ねないと、形見を持って木曽へ帰るよう告げられる。そうしないと「主従の縁を切る」と言われ、巴は泣く泣く従い、最後の働きを見せようと敵と戦い、戻ってみると既に主は息絶えていた。巴は泣きながらに形見の太刀を持ち、木曽へと落ちていく。


見終わったあと、心の中がシンと寂しくて、切なくて、巴ちゃん可哀想だよ〜〜〜ともらい泣きそうでした。(シテは泣いてばかりでした、そういえば。)
若い、愛らしい面でした(小面かな?)。それが後シテでは烏帽子をかぶり、鉢巻をした様子はとても凛々しくて、戦う美少女といった感じ。
「女だから」と言われてしまい、果ては「クビにする」と脅された(?)悔しさ。
それを恨んで出てきた、とのことですが・・・そうかなぁ?
どうあっても主を救う事のできなかった自分を責めているんじゃないかな。
息絶えた義仲の前で泣く姿はほんと・・・哀しかった、かつ、とても美しかったのです。
物着で甲胄(唐織)と烏帽子を脱いで、形見の衣を身にまとうのですが、赤い大口袴に白い水衣(?)のコントラストが巫女のようで、きっぱりと潔く、更に美しく見えました。
笠で顔を隠しながら、太刀を袖に隠しながら、逃れて逃れて。
最後は笠と太刀を舞台上に置き、去っていきました。
う〜〜ん、成仏できたのかなぁ、気になります。


ストーリー的にも面白く、見所が多いというのもあるのでしょうが、とても素晴らしかったです。
シテの狩野了一さん、型がとても美しい。鮮明な写真のように、静止画のように、目に入ってきます。そしてその背後からユラリと何かが立ち上っているような気がしました。


『清水』

茶の湯に使う水を汲みに行けと命じられた太郎冠者。行くのが嫌なので、行ったふりをして「鬼が出た」と主に言う。太郎冠者が置いてきた手桶が惜しい主は自分で行く事に。太郎冠者は鬼に化けて主を脅かし、待遇改善要求をする。主は一端は逃げるが、鬼と太郎冠者の声がそっくりだと不審に思い、見破ってしまう。


いきなり関係ないですが、能会での狂言に対する意識って、驚きです。休憩時間じゃないですってのに。席を立つのは構わないけれど、挨拶回りはやめて欲しいです。(逆もそうですけどね。)『巴』の後、シーンとして、囃子方が幕入りするまで拍手が出ないような、そんな上等の雰囲気の見所だっただけに残念に思いました。
そんな中、橋掛かりを歩いていく役者の勇気に敬服します。(きっとご自身の会ではそんなことないだろうになぁ。)


最初、鬼に襲われたフリをして、かまれた歯型がついていないか見てくれ、と言うのですが、それは無茶です。頭無くなってます。とツッコミたくなりました。そりゃ疑うよ、主も。
太郎冠者の、鬼のフリをして待遇改善要求をするのは、妙にくすぐったいような、微笑ましいような。
その内容が、「夏は冷や、冬は熱燗」を与えよ、とか、「蚊帳を吊れ」とか、「給金を上げよ」(上手く聞き取れなかったので自信が無いですが、おそらく)とか。
うんうん、言っちゃえ、言っちゃえ、て応援したくなりました。
調子に乗ってしゃべると、嘘がばれる、というのが教訓?(笑)
嫌味なく、楽しめました。


『海人』
おとぎ話のような、ストーリー。

亡き母を慕って志度の浦までやってきた藤原房前(子方)の前に、海人の亡霊(前シテ)が現れ、珠取りの様子を再現する。それは、竜宮に奪われた宝珠を取り返すため、海に入り、自らの乳の下を切ってそこに珠を押し込め、命綱に引かれて浮かび上がり、命と引き換えに珠を返すことができた、というもの。そして自分こそその海人であり、房前の母であると告げて中入り。後場では竜女となった海人が、房前の懇ろな弔いに喜び舞う。


これも変化に富み、型も面白く見やすい曲でした。
前シテでの疲れた主婦のような様子と、後シテのエステ帰りのマダムのように華やかで軽やかな舞。(ああ、何て無粋な見方だ、我ながら)
「珠之段」といわれる、珠取りのシーンは特に、具体的な所作が多くて、謡も激しくて、かっこよかったです。(余談ですが、年末に見た『海神別荘』のセットのような場所を思い浮かべて見てしまった。)
子方がこんなに台詞のある能は初めてだったので、それもちょっと感激。
気のせいかな?囃子が他の能のパターンとすこし違う気がしたのですが。(囃子の入りるタイミングとか)
シテの友枝雄人さん、ナチュラルな雰囲気を感じました。
あと・・・これはツッコミどころでしょうか?ワキ方の3人とも、丸坊主だったのですが・・・。
(流儀の方針?)


仕舞については・・・最初2つは地謡に聞きほれてしまいました(特に耳が好んだのは大島輝久さんの声だと思うのですが)。『野守』は、面白いですね、謡の内容も、型も。
“謡宝生”と言われるようですが、私は喜多流の謡の方が好みです。(というのが、最近分かってきました。)


久しぶりに(というと不遜ですが)素晴らしい舞台を見たような気がします。
過不足無く、充実感、満足感。