第46回 式能〈第一部〉@国立能楽堂

kazashi2006-02-19

朝10時から。
結局全部見ちゃいました。

〈第一部〉
『翁』 (観世流)
翁    観世 銕之丞
三番叟  野村 萬斎
千歳   観世 淳夫
面箱   高野 和憲


高砂』 (観世流)
シテ   浅井 文義
ツレ   馬野 正基
ワキ   宝生 欣哉
ワキツレ 大日方 寛
ワキツレ 御厨 誠吾
間    石田 幸雄


大鼓    亀井 広忠
小鼓(頭取)観世 新九郎
小鼓(脇鼓)鳥山 直也
小鼓(脇鼓)観世 豊純
太鼓    桜井 均
笛     一噌 隆之


『末広かり』 (和泉流)
主人   野村 万作
太郎冠者 深田 博治
すっぱ  野村 万之介

『清経』 (金春流)
シテ   金春 欣三
ツレ   金春 康之
ワキ   中村 彌三郎
大鼓   大倉 三忠
小鼓   幸 正昭
笛    赤井 啓三


『饅頭』 (大蔵流)
饅頭売り  山本 東次郎
東国方の男 山本 則重


地謡・後見は省略)


ぜひ一度は観たかったのですよ『翁』付き五番能
知人には、見たいものだけ見て、あとは出て休むなりした方がいい、と言われたのですが、貧乏性なもので、休憩時間以外は見所にいました。
観る、というより体験するというのが近いかも。
だんだん“全部見ることに意義がある”・・・という心境に。
オリンピックじゃあるまいし。(^ ^;)


あらすじは・・・省略します。で、個別の感想を好き勝手に。(長いです)


『翁』
今年初『翁』です。お正月はどこで見ようか迷っているうちに逃してしまったので(苦笑)。舞台上の役者全員が素襖・烏帽子の正装でずらっと橋掛かりに並び、翁が舞台正面で礼をする(客にではなく神に向かって)、あの雰囲気が好きです。翁が座に着いた後、ザザッと皆が一斉に動く時の衣擦れの音とか。
まず千歳、中学生くらいでしょうか?若々しくて、清々しくて、カッコ良かったです!変声期なのか、やや苦しそうでしたが、それもとても好ましく思えました。少年から老人まで、幅広い年齢の役者が同じ舞台で一つの祭事を行なう、それって感動的です。
シテの観世銕之丞さん、精力的な翁という感じでした。これまで見た翁って、「普通のおっさんが面をかけると、急に雰囲気変わって神が降りてくる」ような印象のものが多かったのですが、今回は素の状態も強い人。族長が祭りを仕切るようなイメージ。とても原初的な雰囲気を感じました。
そのせいか?三番叟の野村萬斎さんも、以前見たときよりどっしりしていたような。ところで三番叟が動く時って、大鼓がアシラわれるんですね。大鼓が入るのは三番叟の舞の時だけだし、2人は連動している?(笑)
大鼓は亀井広忠さん。あの高い掛け声、実は初めて聞いたときは違和感を覚えたのですが、今やすっかり中毒です。(笑)


高砂
『翁』の後、地謡囃子方(小鼓は観世新九郎さんのみ)は舞台上に居残り(笑)、引き続き脇能です。
いきなりですが、今回気付きました。観世流の小鼓は苦手。掛け声が尻上がりに伸びるのが、あまり好きではないなぁ、と。
後場の神舞が凄かった!(やっと出番だ、太鼓方!(笑)翁では出番がないのに、最初から出ていたので。)これが「どんなに速くされてもシテは文句を言えない」という噂の(?)『高砂』の神舞か!と妙な感激の仕方をしてしまいました。とにかく速い。凄まじい勢い。あれがスタンダードなスピードなのだろうか?気持ちよかった〜〜。
アイの“浦人”が素襖&烏帽子姿で立派過ぎ、とツッコミを入れたかったのですが・・・脇能だからかな?


『末広かり』
またもや囃子方のみ居残り。脇狂言も、のようです。
おめでたく、品よく、楽しめる狂言。終わりよければ全て良し、と。「末広がり」が扇のことなら最初からそう言ってよ、と逆ギレする(?)太郎冠者。ああ、確かにそうだよなぁ、難しい言葉を使ってばかりで、要点のない話をする人っているよねぇ、と共感を憶えました。主人役の万作さん、怒るときの恐さと、囃子にノって、太郎冠者を許してしまうときのコロっと変わるギャップが好きです。
主人はともかく、すっぱ(詐欺師)も素襖&烏帽子で立派過ぎ・・・なのはこれまた脇狂言だからですね、きっと。(笑)
『翁』からずっと約3時間、囃子方は舞台上に出ずっぱり。しかも笛・太鼓は正座驚異的です。


ここで15分休憩。(『翁』が終わってから出る人もいましたが。)
ちなみに、朝は、水分を控えめに、腹持ちのいいものを食べて家を出ました。


『清経』
ほとんど眠ってしまいました。(汗)謡がもっさりもったりとしていた印象。
囃子方もあまり好みでなく。(ああ、生意気言ってすみません)


『饅頭』
初めての曲。面白かったです!饅頭を蔓桶から取り出すのですが、本当に出てくるとは思わなかった上に、大きいわ、2つも出てくるわで。それを饅頭売りが食べるのも、口の周りでくるくる回すうちに小さく消えてなくなり(多分綿です)・・・手品のようでした。そういう驚きもありつつ、最終的に饅頭売りは男に騙され、可哀そうな事になってしまうのですが、一人になってポツリと「妻は私の我がままで饅頭を食べてしまったと叱るだろう」というようなことを言うのも、狂言らしい夫婦関係が想像できて笑えます。「でも饅頭食べられたこと自体は良い事だった」というように、理不尽な目にあったけれども、明日は強く生きよう、禍福はプラスマイナスゼロだ、と立ち直る庶民の明るさ・強さを感じる曲でした。
山本東次郎さんの狂言、最初はあのわざとらしい台詞回し(サラリーマンがネクタイ締めたままお芝居をやるような・・・てニュアンスでわかるかな?)が苦手だったのですが、何度か見るうちに、いいなと思うようになってきました。クセになる感じです。


第一部はこれで終了。いつもならここまででも充分なのですが・・・まだまだこれからです。
第二部まで45分ほどあったので、展示室へ。能・狂言の各曲の絵が展示してありました。楽屋のつくりを描いたのが興味深かったです。