ござる乃座@宝生能楽堂

野村萬歳氏主催の狂言公演です。
3日間あるうちの最終日だったのですが、相変わらず満席で、人気ぶりがうかがわれます。
(同じ曲で3日間というだけでも、すごいです。)

狂言『無布施経』
僧  野村萬斎
施主 野村万之介


舞囃子観世流)『頼政
 浅井文義
大鼓 國川純
小鼓 曽和正博
笛  田中義和


狂言『通円』
通円   野村萬斎
東国の僧 高野和
所の者  竹山悠樹
 (地謡・後見省略)


『無布施経』
“ふせないきょう”と読みます。
読経の布施を忘れた施主に対して、あれやこれやの手で暗に布施を要求する僧の話です。
「ふせ」という言葉を使っての言葉遊びや、僧の勿体ぶりながらも怪しげな(「なんまいだ〜うじゃらうじゃら」と経を読むのですから)様子が楽しめます。
僧の布施に対する執着と、それを恥じる葛藤、それを狂言にしてしまったあたり、とても皮肉っぽくてにやりとしてしまいます。
僧は、某国営放送教育番組の朝8時に放送されている番組のコーナーでも見られます。
(咳をしたり、経を読んだり)

面白かったのですが、すこしもたついている・・・というか、まったりしていた印象でした。
僧と施主のやりとりが、もどかしいような。
皮肉っぽい曲なので、発散型の笑いになれないからでしょうか?


頼政
能の『頼政』からの舞囃子です。(ちなみに、他の日には喜多流の香川靖嗣師、塩津哲生師だったそうです。)
宇治川を渡って敵に攻め込み、最後には平等院で自害する様子を物語るというもの。
床几にかけての所作ですが、足拍子や扇で戦いの様子を表現し、迫力満点。
ところで、いつも気になっていたのですが、床几にかけたまま左右に身体を向ける時、足をチョコチョコと動かすのが・・・妙にマヌケに見えます。
囃子がちょっと物足りないかな?


狂言『通円』
宇治の茶屋で、あまりの客の多さにお茶を点て過ぎて“点て死にした”通園という人のお話。
構成は夢幻能型式に準じていて、シテ・ワキ・アイから成っており、シテは床几で“点て死に”する時の様子を舞囃子で語ります・・・そう、能『頼政』のパロディーです。
(だから先に舞囃子があったのです。こういう趣向が萬歳氏ならでは、と思います。パンフにも詞章を対比して載せてあったりとか。至れり、尽くせり。)
手には扇でなく、柄杓と茶碗。
水を汲んで、茶を点てて、点てて、ひたすら点てて・・・ロボットみたいな動きが笑えます。
先ほどマヌケと思った床几でのチョコチョコも、もっと笑えます。
最後には過労死(?)なのですが、少し前のCMでキャベツを切り過ぎて倒れた夫婦みたいです。
もしかしたら政治的な意味もあるのかな、と思いつつ、気楽に狂言として笑えてしまう時代は平和なのかな?(逆に、そうやってフィルターかけて揶揄しているとも考えられますが。)


全体として・・・集中しきれませんでした。
面白いんだけど、萬斎氏の所作の癖に笑わせられている気がして・・・一発ギャグ(フォー)で笑うのと同次元のような。
動きの面白さや言葉の面白さが目立つが、内容的にはブラック、という印象。
頭で理解して、ニヤリ、というのが後から来ます。
・・・でも、狂言てそうなのかも。


ああ、何も考えずバカ笑いしたい。