9月青山能@銕仙会能楽研修所

中秋の名月

銕仙会が続いてます。

仕舞『俊成忠度 キリ』	鵜澤 久

狂言『寝音曲』	
シテ	野村 万蔵
アド	野村 扇丞
	
能『砧』	
シテ	浅見 真州
ツレ	長山 桂三
ワキ	森 常好
ワキツレ	森 常太郎
アイ	山本 浩一郎
笛	一噌 隆之
小鼓	曽和 正博
大鼓	柿原 弘和

(後見・地謡は省略)


仕舞『俊成忠度』
2日前の興奮冷めやらぬ、鵜澤久。(あ、冷めてないのは私のほうね)
紋付袴だと、さすがに華奢に見えるが、ぎゅっと締まった動きが、カッコイイ。
前半、地謡がバラついたのが、惜しい。


狂言『寝音曲』
最初、万蔵の声にいつもの伸びがないなぁ、なんて思ってたけど、酒を飲むと、聞きやすくなった。(←もちろん、ホントに飲んでいるのではない)
この太郎冠者の謡って、『玉之段』(『海人』の玉とりの場面)だったのねー。ああ、聞いたことあるある、見たことあるある、と、今更ながら。
シテ方の真面目な仕舞とは違い(当たり前ですが)、興が高じて舞い始めちゃう、太郎冠者の謡好き加減、楽しそうだー。
主の扇丞の、「あれー?何か変だぞー?」て感じのちょっと拗ねたような顔が、妙に可愛かったです。


「ねおんぎょく」・・・「ネオン曲」だったら、演歌みたい。(←くだらないっ)


能『砧』
濃い〜〜〜いぃぃかったです。
秋の枯れた風情、というより、秋限定リッチでクリーミーなカスタードクリームモンブラン♪という程の濃厚さ。(そんなケーキがあるかどうかは知らない)
面についても、ストーリーについても、演出についても、見ごたえありました!
(ああ、どれから書こう)


前シテ(芦屋某の北方)の、橋がかりに立って放つ、「寂しさ」のオーラ!
もう、そこだけドーンと暗く空気が沈んでいて、「孤独」を体現化している・・・なのに、夕霧(ツレ)が現れると、女主としての貫録を見せる。
若く鮮やかな装束の夕霧と、地味な配色のシテの対比は、さまざまの憶測が駆け巡る。
例えば・・・夕霧も、もしかしたら芦屋某のお手つきだったのが、都から追い返されてしまった。それで二人して、砧を芦屋某に見立てて、打つべし!・・・とか?(一瞬、あの砧に芦屋某の髪でも折り込まれているのか?呪詛の言葉でも書いてあるのか?なんて怖い想像をしてしまいました)
砧を前にしてのシテとツレの台詞は怖かった!(「主従ともに」「恨みの砧」「打つとかや」て・・・ひぇ〜
前シテは「深井」という面だそうですが、目の上(骨格的に眉のある位置)の彫が深くて、砧を見下ろすのが、すっっっごく、怖い顔でした。眉間にしわの寄ったようにも、角の生えたようにも見えました。恨みの表情、です。
憎む事にエネルギーを使い果たした挙句、カサリと葉の落ちるような軽さで、妻は死んでいった気がします。(シテの存在感や謡の濃厚さとは別次元の話です、もちろん)
後シテは「泥眼」とパンフレットにありました。とてもツヤのある面で、顔中涙で濡れているように見えました。ただし、表情は険がとれて、茫漠としている。感情が飽和してしまって、もう涙を流しても、それが自分の身体から出る水なのだとは、気付いていない人。(いや、幽霊か。)
妻が亡くなった事を聞き、帰ってきた芦屋某(ワキ)・・・ワキって、常に慌てず騒がず、ですね。(そりゃそうか)
そんな淡々としたワキを見ていたら。
やろうと思えば帰れんじゃんっ、ひどーい。
殊勝なフリをしてるけれど、都で楽しんでたんでしょー?とも。
死んだ妻の幽霊が怖くて、供養を思い立ったんじゃないのー?とか。
妻の友達モードの怒り(八つ当たり?)をしてみる(勝手に。見所で。)
けれど。
後シテとワキとの邂逅は、感動的。
やっと会えたのねっ。(シテはまだ「恨み」を述べているけれど。)
二人の視線がキュッと繋がって、シテが目を逸らしても、ワキが最後まで見守っているのって、優しさだと思う。
森常好の、この見守る感じって、好きだなぁ。
その優しさで、成仏できたのだろう。
砧を打つ音で救われた云々と謡っていたような気もするが・・・どういう意味?
それが祈りとみなされたのか。
そうして出来た布が神様に奉げられるものだからか。
妻の中のドロドロしたものは砧に吸われ、実は彼女自身は浄化されていったのか。


さて、お囃子方
柿原弘和、基本クールなんだけど、絶妙なポイントで熱くシーンに切り込んできます。鋭く痛そうな音が、シテの心の痛みとリンクして、ぞくっとしました。
これまた続けての曾和正博。小鼓の潤わしさ(変な表現?)は、シテに薄い膜を被せて守っているよう。
笛の一噌隆之、和紙のイメージがします。障子紙のような、ちょっと厚めで、ザラッとしていて、けど柔らかく光を通すような。
あくまで私の好みを言えば、もっとドロっと、肉感的な音で、見てみたかった。
けど、もしこの舞台に、今私がイメージするような音が入ったら、くどすぎるだろうな。(苦笑)
フランス映画みたいになってしまう。


「砧」(あるいは「砧打つ」事)が、彼女にとってどういう意味なのか、はっきりとは分かりませんが。(故事に慰めを求めたという以外に)
女が機を織るということは、日々の喜びや悲しみ、更には言葉にならない思いをその行為の中でなだめている、というような事を読んだことがあり(小説ですが)、そういう、単純作業の祈りに近いものかもしれない。
「待つ」という受身の行為を生産性のあるものに転化しようとしたのか?
今の、私にとっての、「砧打つ」は、なんだろうなぁ、なんて、思ったりも、します。


いい舞台でした。
お尻は痛くなったけど。