第11回鵜澤久の会@宝生能楽堂

久しぶりに会う友人と昼食を食べ過ぎた危険な状態で会場入り。
待ち合わせ場所を水道橋と指定した時点で、「能でしょ」とバレました。(苦笑)

仕舞 『笠之段』	観世 銕之丞
	
能 『江口 干之掛』	
シテ	鵜澤 久
ツレ	西村 高夫、浅見 慈一
ワキ	宝生 欣哉
ワキツレ	大日方 寛、御厨 誠吾
アイ	小笠原 匡
笛	松田 弘之
小鼓	曾和 正博
大鼓	亀井 広忠
	
狂言 『墨塗』	
シテ	野村 万蔵
アド	吉住 講
小アド	小笠原 匡
	
能 『室君』	
シテ	浅見 真州
ツレ	鵜澤 光、多久島 法子、寺井 千景
ワキ	村瀬 提
アイ	野村 万蔵
笛	八反田 智子
小鼓	森 貴史
大鼓	国川 純
太鼓	小寺 真佐人

(地謡・後見は省略)


能『江口 干之掛』
好きな曲で、シテは初見。とっても楽しみにしていた1番です。
こういう興味の持ち方は、もしかしたら失礼なのかもしれないけれど、男性と互角という、女性能楽師の舞台を、見てみたかったのです。(女性○○って言葉自体、色眼鏡的な表現で、抵抗あるのですが。)


強い、タフな女性像。遊女から想起する華やかさや、色っぽさより、職業人として「遊女」を或いは「江口の君」を全うしている雰囲気。心のガードが固そう、でもある。
江口の君の悲しみって、素の彼女(江口の君)が「遊女・江口の君」を別人として悲しんでいるのかも?
普賢菩薩になったのは、だから「遊女・江口の君」が許されたのではなく、「里女・江口の君」の事なんじゃないのかな。
最後、雲(白象)に乗って西の彼方へ消えていくのも、真っ白にフェードアウトするのではなく、きっぱりと、現世と浄土との境目を踏み越えた、という印象。
潔さと乖離。カッコいい後姿。ちょっとだけ、ピリッと電気的な痛みが残る。


以前別のシテで見たときの、大きく包み込まれるような慈愛は感じられなかったなぁ。どちらかというと「江口の君」の個人的な物語という気がした。
全く違う解釈だけれど(というか、私が勝手にそう解釈したんだけど)、とても素晴らしかった!
舟遊びでツレに挟まれて立つ姿が可愛いかったです。装束の彩りも良くて。面もとても上品で美しかった。


更に、お囃子がこれまた絶品でした。
松田弘之の笛が、とても有機的。手招きする、小さな者たちの鳴き声みたいで、ついふらふらっとついていきそうになる。「ハ−メルンの笛吹き」という童話があったけど、きっとこんな感じだったんじゃないかと思う。
曾和正博の小鼓、「たぷん」て聞こえました。たっぷり入った水瓶を揺らした時の音みたいな。舞台一面に穏やかな波紋が広がっていくみたいで・・・そういえば、「江口」って水のイメージの曲だっけ?良かったです!(どうやら私は、関西方面の小鼓のほうが好みらしい。)
亀井広忠の大鼓も、それを受けて、変幻自在というか・・・縁いっぱいまでせりあがった水の面を、ギリギリ掠めていくような鋭さと。がっつり瓶を抱え込んで飲み干してしまうんじゃないか、という豪胆さと。
はっ、トリプル・ヒロだ。(←またしょーもない事に気付く)


狂言『墨塗』
肝心の、女が水や墨を顔に塗る姿が私の位置からはよく見えなかったのが残念。
太郎冠者が全部口頭で説明してくれたけど。(漫画でもいるよね、こういう状況説明キャラ)
最後、墨を塗りあって(いや、女が一方的に塗りつけるのだけど)いたのが、妙に楽しそうだった。


能『室君』
室の津の遊女達が、神前で舞や舟遊びの祭事を行っていると韋提希夫人(イダイケブニン)という室明神の本地が現れ、めでたく舞い奏でて空へのぼっていく、という話。


チラシには、「監修 野村四郎;ドラマツルグ(文芸) 小田幸子」とあったので、てっきり新作か復曲なのだと思ってましたが、そういうわけでもないらしい。
ツレ・地謡を女性で固めるために構成を見直したとのこと。
こちらも「遊女」の曲。(そもそも会のコピーに「遊女2題」とあった)


万蔵(アイ;室の津の女主人)がひらりひらりと扇を翻しながらツレの遊女を誘導するのが、いかにも「遣り手婆ぁ」ぽかった。この人、女役のほうが似合うんじゃないかな?
本来無個性のはずの(?)3人のツレの面が、それぞれ特徴的だった。
ふっくら可愛らしい系と、しゅっとした美人系と、おっとりのっぺり系と。
色んなタイプの子を揃えてまっせー、てとこでしょうか?
で、ここで最大の勘違いがあったのですが、シテの韋提希夫人て、神様の類だったのね。
てっきり、「ウチのNo.1ですっ」な人かと思ってました。(爆)
強烈に神秘的で、色っぽかったし。


以前読んだ本で、昔、神殿に仕える巫女は、イコール娼婦だった、とあった。
遠くから旅をしてきた悩める人々を迎え入れ、神への取次ぎを行う存在。
そんなのも、連想しつつ。


地謡の鵜澤久の声は、別格でした。