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囃子の掛け声はほとんどすべての打楽器の音の間に入る。本当にうるさいくらいに入る。たとえば、(手付けの図)という具合だ。音を出しているのか、声を聞かせているのかわからないくらい掛け声が入る。むしろ掛け声のほうが主役のようだ。
・・・センセ、囃子の掛け声をジャマに思ってるでショ?(笑)
確かに、シテの声を掻き消してしまうほどの掛け声の方もいらっしゃいますけども。
更にあとがきにまでも、
だから生の舞台、謡、囃子の掛け声、大鼓や太鼓の喧騒かとも思えるような音に遭遇しなければ能は感じられない。
・・・センセ、囃子をうるさく思ってるでショ?(笑)
この本です。
- 作者: 津村礼次郎
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2001/02
- メディア: 単行本
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痒いところに手が届く、細かいところまで解説してあります(養成会のことだとか、足袋のことだとかまで)。
かといって、重箱の隅をつついてマニアックすぎる風でもなく。
著者は観世流のシテ方として舞台に立つ方なのですが、それにしては(というと失礼?)客観的な表現で整理された文章に、ところどころ演じ手としての感想が入っている程度。
キーワードが太字になっていて、読み物というよりも、教科書っぽい。(はい、ここ重要ねー。テストに出すよー。)
舞台の方角についても書いてありました。(実際のではなく、決まりごととしての)
舞台中央(正中)を基準に、シテ柱の方向が「西」、ワキ柱が「東」、笛柱が「北」、目付柱が「南」だそうです。
だからシテが月や太陽が昇るときはワキ座の方を見るんするんですね。
橋掛かりが「西」にあり、そこからシテ(=死者)がやってきて、帰っていくのも、ちゃんと意味を持ったことなのでしょう。(地獄からや、成仏できない、シテの方が多いようにも思いますが)
鏡板の松は、奈良春日大社の「影向の松」の鏡像(だから「鏡」板)という説もあるので、もしかしたら、その方角も関係しているのかも?
ともあれ、舞台の上では、重要なお約束ですよね。
・・・知らなかったですが。(漠然とは感じていましたが、ちゃんとそう決まっているとは知らなかったです。)
勉強になりました。