水と火

梨木香歩さんの『からくりからくさ』、大好きな作品です。
以前こんな風に↓紹介しました
きっかけ - 迷宮探索


で、男性目線の感想がこちら↓
からくりからくさ、梨木香歩著 - じゅんじゅんのきまぐれ


それで何となく思い出した・・・というか、連想ゲーム的にいろいろ書いてみようかと。


この本では、水と火がキーワードのように出てきます。
水の中に住む、水蜘蛛や龍、イスタンブールの地下宮殿、水に浸かった人形。
火を噴く竜、ドラゴン、クルドのキリム、民族の血、そして燃える人形。
これらが交互に提示され、紡がれ、編みこまれていきます。


水と火。
どちらも“浄化”を行なうという共通点があるように思う。
水で清める。火で清める。
流してしまう。消してしまう。
そんなふうに、“今”を、取り去ってくれるようなイメージがあって。
だから、安らぎを与えもする。
火も、水も。
尊いものだからこそ、試練として、挑んできた対象でもある。
いずれにせよ、人にとって、原始的な感覚を呼び起こすもの、だろう。


先日観た、能『海人』を思い出した。
 母親が我が子の出世を託して、竜宮へ宝珠を奪い返しに行く前場後場では母の亡霊が竜女となって現れるのだが、この時に使われるのが、そのものの名前を持つ「竜女」や「泥眼」「橋姫」といった面だそう。『面からたどる能楽百一番』(淡交社)に「竜女」の写真が載っているが、髪は水に濡れたように乱れ顔に張り付き、紅潮していて、恐ろしげな表情をしている。また、「橋姫」(これは『鉄輪』の後シテ・鬼女に用いられる)も、髪が濡れ紅い肌色の哀しそうな面が載っている。
 これらの形相が「りかさん」だと考えるのは恐いが、人の心の深いところに溜まった水と、嫉妬の炎を同時に表現すると、こうなるのだろう。水は哀しみを、火は怒りを。そんな単純ではないだろうけれど。
 そして『海人』では。出世した息子の執り行った法要で、「竜女」は成仏し、早舞を舞う。つまり、あの面で成仏した喜びも表現する必要がある。怒りや哀しみではなく。母の愛と、勇気。そんな達観した意味づけもなされた、面。ちなみに、先日私が観た舞台では、白い肌で神性の高い「泥眼」が使われていたと思う。
 こういうこともひっくるめて、読み返してみると、「泥眼」が「りかさん」のイメージに重なってきた。


自分のルーツを知ること。
伝えること。


能も、小説も、同じテーマでした。