ナマモノ

18日に書いた、感動の言語化ということに関連して・・・


1年前。
凄い舞台を体験した。
その感動にしがみつきたくて、記録した映像や、音源を、何とか手に入れたいと思った。
けれど、役者さんにとっては、生の舞台が本来の姿、記録物はあくまで自分たちの反省材料だから、見せるわけにはいかない、と。


自分の浅はかさが恥ずかしかった。
と同時に、役者さんが生の舞台をとても大切にしているのがわかって、断られたのに、嬉しかった。


そして・・・実際には、記録媒体に頼らなくても、私の中で、その記憶はまだ感動にふるえている。


そういうことかな。