2回目敦−山月記・名人伝−@世田谷パブリックシアター

(前回は能楽カテゴリーで書きましたが、観劇カテゴリー作製しました。)
行ってきました、2回目。
今回は大鼓が亀井広忠さん。
プレビュー公演(以下PV)の時からいくつか変化がありました。


以下ネタばれなので注意して読んでください。
(PVレポは敦−山月記・名人伝−@世田谷パブリックシアター - 迷宮探索


山月記
まず、プロローグとして、中島敦のプロフィールを萬斎さんがナレーションするのですが、その際のスライドが敦のあのポートレートのみになっていました。(前回は、幼少児の写真とか、学生時代の写真とかあったのですが)
文章自体もすこし減ったのかな?
随分すっきりした印象でした。(PVの時は初っ端からもどかしく感じたので。)


前回、ひっじょう〜に気に掛かった、“ボレロ”、無くなってました。(ちょっと残念)
代わりに、非常に抽象的な、オリジナル曲に。
ただ、ウサギの人形が、バラバラに・・・しかもその傷口から赤いものが見える、というのはちょっと生々しくて、嫌でしたね。(PVでは放り投げ合ってるだけだった気がする。)
パントマイムだけで、ウサギを襲っているのを表現できるだろうに、と思うのですが。


エンディングも、変な間が無く・・・暗くなっても尺八が演奏を続け、万作さんが舞台上で見得を切る、というようになっていました。
また、囃子のお二人も客席に向かって礼をしていました。


PVのときは3階席から全体を眺める感じでしたが、今回は1階の前列で、見上げるように観ました。
そのせいか、音の違いが大きかったです。
最初に演奏される、尺八のモチーフ、オリジナルだと思います。
物悲しくて、素敵でした。
その後も繰り返し使えばいいのに、勿体ない。
また、敦たちが「死・・・」とつぶやくシーンで、大鼓が革を引っかくようにして音を出しているのにも気付きました。
細かいなあ・・・。


素囃子(と言っていいのか?)は、大鼓・亀井さんは一調風に片膝を立てて構えていました。
『獅子』をアレンジしたものに聴こえました・・・が、どうでしょう?
とても“音楽的”でした。
合いすぎていて、ちょっと違和感を感じました。
能管と違って、尺八はメロディアスだからかな?


名人伝
ほとんど変わっていないと思います。(気付かなかっただけ?)
落としてしまった眼鏡を別の人がそっと拾って、手渡す、という動きがさりげなくて、後見ぽくて、さすが、と妙なところで感心してしまいました。


カーテンコールは、名人伝の出演者プラス囃子のお二人。
3回目には萬斎さんのみが出てきました。
・・・万作さんは〜?



ということで、総合評価(大胆な?)
近くで見ただけの迫力、細かさを楽しめました。
近いだけに最初、色々な点で気が散ってしまいましたが。
あまり近いよりも遠い方が、セットや演者の配置の美しさなどがわかっていいと思います。(ま、それを狙って3階席とったのですが。)


ひたすら万作さんに魅せられる舞台でした。
白い衣装で、きっと、発狂したのも、旧友と出合ったのも、満月の夜だったのだと思わせるような、清冽さ。

己の毛皮の濡れたのは、夜露のせいばかりではない。
             中島敦山月記』より

「う゛〜〜〜〜」と泣き、直後に自嘲的に笑う李徴、狂言の型ではないのに、それでもこういう型があるのかと思わせるくらい、美しいものでした。
実はこのフレーズ、2・3日前から頭の中でリフレインされていました。
最初、何だかわからなくて、今日、舞台を観る直前に気が付いた、李徴の台詞。
残ってたんだな、と。


そして万之介さん。
渋いです、いい味です、そこにいるだけでいいです。
舞台の奥につっと座っているだけなのに、重く、大きいのです。
それでいて軽妙さもあるのです。


中島敦をこう読んだか、という点で野村萬斎氏の演出はさすがです。
でもそれ以上に、役者の、特に長老お二人に拠る所が大きいんじゃないかなぁ?
(そもそも狂言師が演じるゆえの所作の美しさ、というのもあるだろうけど。)

まだまだ良くなる余地のある舞台だと思います。
再演を期待。
(万作さんの朗読CDとかできないかなぁ?)