偏愛

能・歌舞伎役者たち (朝日選書)

能・歌舞伎役者たち (朝日選書)


著者の出自に些かの所以ある審美対象なのでもあろうが、随所に弄せられる美辞麗句でもって、能・歌舞伎役者そのもの、つまり各個の舞台や芸への評なり、ましてや研究等ではあり得ず、人物としての魅力を語るに、その偏愛とも言うべき警鐘を含めた賛辞は、いずれの人物の舞台をも見ること適わなかった寡聞なる私には面映いばかりに感じられるのである。


↑自分でも何を書いているんだか、分からない・・・。(苦笑)
つまりは、そんな感じの本でした。
笑っちゃうほど過剰に技巧的な言い回しで、意味をストレートに伝える事にまんまと失敗しています。
そういった点で、著者自身も述べている通り、評論ではありえないでしょう。
随筆、エッセイと捉えたらいいのかな。
国文学者ということですが、国文学の論文て、言葉を装飾して書くものなのでしょうか?
リズムは良いので、読みにくくはないし、こういう飾りだらけの単語オタクみたいな文章って、嫌いじゃありませんけど、もし小説で、こんなまどろっこしかったら、ストーリーを見失っちゃいます。(んじゃ、一体何に向くのだか?)



坂東玉三郎市川団十郎、六代目菊五郎と初代吉右衛門、初代金剛巌、橋岡久馬、観世寿夫に対する著者の「愛」が語られています。
内容的には、孫引きばかり(特に歌舞伎役者について)で、ゴシップ的な下世話な話などあったりと、材料が貧弱で、わざわざ著作物とする意義を見出せません。(苦笑)
それに対して、能の方は、実際の人物や舞台に接した事実から書かれているらしく、思い入れ深く人物像を描いているように思います。
その愛ってば、ええっ?てくらい、臆面無くて、読んでいるこちらが恥ずかしい。(笑)



つくづく、橋岡久馬、観世寿夫、そして野口兼資(随所で名前が出て来る)観たかったなぁ、と思います。
ちなみに、著者によると(当時の一般的評価でもあったのかもしれない)、久馬は「有機的」、寿夫は「無機的」で、前者は太宰治、後者は三島由紀夫とも比較しているのが、面白いです。