新年早々にディープな

年末、帰省中の電車内で読もうと買っておいたものの、やっと今年になって読みました。


アブラクサスの祭 (新潮文庫)

アブラクサスの祭 (新潮文庫)

ロックと薬で「自分」を保つ、僧侶の話。


分裂病躁鬱病、自殺未遂、向精神薬、アルコール、妄想、精神世界、カルトなどといったショッキングなキーワードが連なる割には悲愴感をあまり感じさせないのは、主人公が“ある意味”まっとうだから、でしょうね。
主人公自身の一人称でその時々の心の状態が語られるのですが、あまり違和感を感じさせません。
きっと、誰にも身に覚えのある感覚、けれど、その振り幅が大きすぎたり、長く続きすぎたりして実生活に支障をきたすから、「病気」とされてしまうだけのこと。(“すぎたり”てのは結局異常ということだけれども)
周囲の人はそれを見て、自分の中に同じものが存在するのを認めるのが嫌だから、「病気」という認識にすりかえることで、安心する。


ところで、“おかしな”ことだと分かっていて、わざとするのは、どうなんだろう?
たとえば・・・電車の中ででんぐり返りするとか。
そんなことをするのは非常識だし、変な目で見られるから、しない。
けど、それが一般の基準から外れていると分かってて、でもでんぐり返りする、てのは?
本人がどう考えを巡らそうと、客観的にみれば、異常だ。
でも中身は、ちゃんと考えているし、恥ずかしいし、我慢できるけど、でもするんだ。
・・・そういうのって??


通学中にそんな事考えてた、妙な高校生でした。
だから、ラストのクライマックス、振り切れてしまった主人公を、羨ましく思えるのです。


ちなみに、著者自身もお坊さんです。
病歴・薬歴は・・・不明ですが。
芥川賞作家なんですね。(賞モノには興味ないですが。)
アブラクサス』という言葉に引っかかって、ジャケ買い(タイトル買い?)したのですが、当たりでした。


で、この『アブラクサス』なぜ引っかかったと言うと・・・これです。

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

主人公シンクレールが、デミアンという名の少年の関わりのうちに、「本来の自己」を獲得し青年へと成長する過程を描いた、ヘルマン・ヘッセの代表作の一つです。
アブラクサス』とは、“異端の神学の、神でも悪魔でもある絶対者の名前”(玄侑宗久著『アブラクサスの祭』より)であり、デミアンはシンクレールにそう教えることで、それまでの価値観を壊すのです。


ヘッセ、好きなのですが、この『デミアン』は特に思い入れがあります。
高校生の時に読んだのですが、意思や自我の力、というものに気付かされた本です。


ちなみに・・・同じくヘッセの『知と愛』は、別の意味で衝撃的でした。
文学って、エロティックだなぁ、と。
(それも人間の生きる姿なのです。)