言語化

以前、ふと見た、とある番組。
それは、シュタイナー教育を紹介するものでした。
ミヒャエル・エンデシュタイナー教育を実践する学校に通っていたそうで、その存在は知っていたものの、実際どのようなものなのかは知りませんでした。


自身子供を持つ、女性シンガーがレポートをするというもの。
丁度、音楽の授業で、リズムについて知るために、生徒は各自好きな楽器を持って演奏をするとのこと。
楽譜があるわけではなく、パートが割り振られているわけでもなく、いつ、どのタイミングで入るかは、生徒が判断する。


意志を持って、リズムに入る。
それは全く、あなた次第。


オトナ的には、とても怖い事を言われている気がします。
何より、そういう主張方法の訓練をしないのが、日本の教育。


演奏後、女性シンガーは、生徒たちの感想を聞こうとするのですが、先生に止められました。
言語化することで、今の音楽体験が変化してしまう。感動が、頭の中で処理されたものになってしまう。」


ぎくり、としました。


感動を、感動のままで留めておくには、言葉にしてはいけない。
きれいにまとまった言葉なんか、いらない。
オトナは、わからないことも、わかることも、整理して、分類して、言葉にする事で安心している。
いくら言葉を繕っても、生の感動には、追いつかない。


・・・でもね。
伝えたいから。
そういう時があるから。
自分の感情を言い表すぴったりの言葉が見つからなくて、もどかしい思いをしながらも。